祈りの灯

 

『祈りの日』お読みいただきありがとうございました。

  この話は読んでくださった方にいろんな解釈をしてもらえたら楽しいなと思っているのですが、私なりにこういう話、と考えながら描いていた漫画でもあるので、この記事は補足説明程度に読んでいただけたら幸いです。

  

  今回の話はおもに『大人になるとはどういうことか』『生きていくうえで最も重要だと思うことは何か』という点について、シオンとレオナがそれぞれどう考えているか、そして二人の考え方がお互いにどんな影響を与えたかを想像しながら話を組み立てました。

  作中でも示されているとおり、シオンの思う『大人になること』は、文字通り歳を重ねること、そして子どものころ好きだったもの、大事にしていたものを手放してしまっても大丈夫な人間になることでした。だからこそシオンは大人になるために、母親との接点であった囲碁をやめ、プリパラを去ります。そして彼女が生きていくうえで最も重要としていたのは、何があっても進み続けることでした。

  一方レオナは、ここからが大人!という明確なターニングポイントがあるのではなく、身体と精神が少しずつ成長していくなかで、どちらか片方でももう片方に追いついていなければそれはまだ大人ではない、という考え方をしています。だからこそ無理に大人になろうとするシオンを見ていられなかったのだと思います。彼が最も大切にしていることは、愛すること、愛されることで、こちらはおまけのコピー本で触れていますが、彼がシオンに無条件に愛を与えたのは かつて姉から貰った愛を同じように誰かに与えてあげたいと思っていたからです(ドロシーはいまいちそれに気付いていなかったので、レオナが他人に与えてばかりいるのだと思っていました)。ドレッシング・循環愛ですね。ちなみに彼がシオンと最後のマイチケを交換したのは、シがそれを処分するとか封印するとかしてプリパラから永遠に断絶されてしまうのを阻止するためでした。帰る場所を用意するためだけに自分がいる、という考え方もまた(『そのために私がいるの』)、ちょっと悲しいものですね

 

 ドロシーについて 話の時間軸をめちゃめちゃにしてしまったので少し触れておきます。ドレシが神アイドルになったのは高校生のときで、これより前にシとレはおつきあいを始めています。だから二人が揃ってプリパラから去ってしまったのがドロシー的には仲間はずれみたいに思えて寂しかったんだと思います。実際は違うんだけど。そして二人が去ったあと、ドロシーは神アイドルとしてひとりでプリパラに残ります。

  説明が必要そうなのはドロシーの身長と髪の長さですね。高校生ドレシの身長差は、ふたご・カナディアン遺伝子パワーでレ>ド>シになるわけですが、レオナはプリパラ内では中学生の頃の容姿を保っていたので、パラ内身長差はド>シ>レでした。じゃあ髪は?ドロシーはレオナと何もかもお揃いでなくなってしまうことがきっと怖かろうと思ったので、プリパラ外では長いけど、内ではレオナと同じ長さにしてる、ということにしました。レオナがプリパラからいなくなってしまってからは、もうお揃いとか気にする必要がないので、外のドロシーと同じ長さになってます。

ややこしくしてすみません。

 

  この本ではシオンの母親についてだいぶ好き勝手に描いてしまいましたが、シオンにとっての『ママ』は無条件に自分を愛してくれる人でした。だからこそシオンはレオナにずっとママみを感じていて、レオナに対する『好き』はおそらく恋愛感情ではなかったんだと思います。レオナも実際シオンに対して恋人になってほしいと思っていたわけではなくて、見ていてどうしても危ういので恋人という立場をもって傍にいてあげたいと思っていたというオチです。ただ、シオンの考え方がだいぶ前向きになったので、これからの二人の関係性はまた違ったものになっていくと思います。

 

  余談です。過去と未来のシオンが出会うシーンがありますが、あそこで小シオンが大シオンを母親と間違えたのは、見た目がそこそこ似ていたというのもあり、また、大シオンの中にはレオナから与えられた愛(かつて母親から与えられたのと同じもの)があったから、という小ネタがあります。パパがあれなので、東堂母娘ビジュアルはまあまあ似ているんだと思います。

  余談です。今回原稿中によく流していたのがSalyuちゃんの『旅人』という曲なのですが、いい曲だなとじんわりしたので是非きいてみてください。

YouTube公式チャンネルにライブ映像がありました。

Salyu「旅人」

https://youtu.be/i4uZNnzyrN8

今が好きなあなたと

未来を想うあなた

二つの自分が住んでいても

それはひとつの旅を

続けている旅人で

見果てぬ未来へ 確かに歩いている

新しい地平であなたに出会うために

  ここにけっこう引っ張られたところがあります。

 

 

  タイトル『祈りの日』は作中でシオンがプリパラを去る日だけでなく、彼女がいろんなものに別れを告げてきたすべての日です。彼女の考え方が変わってきたことで、それらが最終的に全て無駄になってしまったかというとそうではなくて、それは誰かと一緒に生きていくとしても絶対に自分の中でだけ抱えていかなくてはならないものとしてこれからも変わらずシオン自身の中にある思い出です。『行く先を照らす灯火』とシオンは言っていたけど、『祈りの日』とはつまり『祈りの灯』ということでもあり…

  つくづく思うのは大人になるためにいろんなものを諦めたりなくしたりするのではなくて 大人になるまでの時間はすごく長いから その間ほんまにいろんな事があって だからこそ悲しいこともあった、諦めんといかんこともあった、でもそれと同じだけ嬉しい楽しいこともあったのだろうということです。光のごとく時間が過ぎてきたような気がしても、私たちが子どもだった時間は思っているよりずっとずっと長かったんだということ!失った時間にこそ美しさがあるという考え方をしているわけではないのですが(ゴールズワージー『林檎の樹』をどうぞ)、どんなに歳を重ねようが一生おなじ人間である以上、子どもの頃の自分はいつでもまだ生きているというのがミソでした。きゅうり

 こだわりは表紙と裏表紙です。表紙を見てもらったらくるっとひっくり返して裏も見てね

 

 おわり ありがとうございました。

 うみ・マドレ犬・くるみパンヌ