棺の中の宇宙
み・ヌ・ヌです。こんばんは。
大きな喪失を味わった時、とりわけそれが愛にまつわるなにかだった時、自カプのそれぞれが何を思うかということについてぼんやり考える記事にしようと思って、ちょっとちがう方向にきたものだとおもってください。というのも(というな)、クラス別スカウトで4しゅうねんの薫くんだけ来てくれんかったからですね、ビリヤードも来てくれませんでしたね。かなしい、ピザたべたい
おはなしを戻すと、つまり自カプのそれぞれが、大切なものを箱の中に大事にしまっておくことか、それとも箱から出してめいっぱい触ってあげることか、そのどちらを愛とするか?ということです。
薫くんはきっと前者で、なんでかというと、彼は過去すでに大きな喪失を味わっていて、それについて今も思うところがありそうだから です。DEATH. 彼の♡愛♡についての考え事は、このキモ・ブログにも掃いて捨てるほど置いてありますけど、まだなんか言わないと気がすまない!!!!!!!だから書きます 大事なものを集めて箱の中にしまっては、それらに想いを馳せて慈しむのが彼の性癖みたいなものだと思ってて、こと恋愛に関してもそうだと思うんですね。実際字面はすごいけど、あながち世の中にいないわけではないタイプだとおもいます。夢見がちオトメワールド……喪失への恐怖みたいなものがあると、多分こっちに行きがちなのかなっておもいました。それは傷つけないかわりに絶対に触れることはできない(相手のすべてを知ることはできない)し、箱の中のものを誰とも共有できないから祝福を得ることもまたできないんですね 永遠の孤独ということです
それが彼の幸福なのかというとまたちょっと違くて、なんだろう ほんとの幸せみたいなものを薫くんは自ら遠ざけてしまっているかんじがする、かわいそうで興奮するな…………でも自カプ、幸福になってほしいよ……………
で、颯馬くんはおそらく後者で、大事なものこそ箱から出して、自分の手で触ってあげたり、外の世界に連れ出したりするべきだと思ってる感じがします。愛とは傷つく事もいつか壊れてしまう事も受けいれて、隔たりのない状態で誰かと触れ合う行為、箱の中に大切なものをしまって永遠に開けないでいるのは、何もないのと同じ……そう思えるのは彼がとくべつ大きな喪失を味わったことがないからかもしれないので(わからん!300回目やけど、そうまくんの家のことどうにかつまびらかにしてください)、どちらが正しいとかは誰にも判断ができないのですが、拙は颯馬くんが恋人を日の当たるハッピープレイスに手を引いて連れてきてくれると思い込んでる節があるので、以上のようにかんがえました。
そんな颯馬くんと出会って恋をして、薫くんがどういうふうに思うのか、彼は変わるのか変わらないのか、そこはわからないんですけど、颯馬くんは必ず薫くんの世界を開いてくれる生涯の恋人なんだろうなと思います。薫颯の王子様は颯馬くんのほうなんや。自カプ、どっちもディ◯ニープリンセスだから シロツメクサのかんむりをどうぞ
ぼくの自カプに対する祈りは、颯馬くんがきっと薫くんの思う♡愛♡をぶっ壊し、箱の中の宝物ではなく、箱の外のうつくしい景色に導いてくれますように……………ということ………………最終的に同じ墓に入るので(墓も棺も箱である)、彼らの恋愛は他人から見るとちょっとヤバですが(ちょっとヤバではない恋愛解釈もあってよい)、ある意味では薫くんの愛はそこで完遂されるのではないかなとおもいます。燃えよ愛、二人の終わりが世界の終わり、エクピロシスの炎、ねこ
というわけでこの記事のタイトルは本当は『自カプ、同じ墓に入れ』だったわけですが(………)ブロックよりひどい目に遭いそうなのでやめておきました。このザマ、2年後とかに見返して即死するポエティックゴミゴミタイトルをつけてしまいましたが、若気が至ってたのかもしれないと思って許されたいです。よろしくお願いします。ようこそ!Dear my future♪♪♪
ブロックは気軽にしてね♪♪♪
♡愛をこめて♡
海・犬・パン
祈りの灯
『祈りの日』お読みいただきありがとうございました。
この話は読んでくださった方にいろんな解釈をしてもらえたら楽しいなと思っているのですが、私なりにこういう話、と考えながら描いていた漫画でもあるので、この記事は補足説明程度に読んでいただけたら幸いです。
今回の話はおもに『大人になるとはどういうことか』『生きていくうえで最も重要だと思うことは何か』という点について、シオンとレオナがそれぞれどう考えているか、そして二人の考え方がお互いにどんな影響を与えたかを想像しながら話を組み立てました。
作中でも示されているとおり、シオンの思う『大人になること』は、文字通り歳を重ねること、そして子どものころ好きだったもの、大事にしていたものを手放してしまっても大丈夫な人間になることでした。だからこそシオンは大人になるために、母親との接点であった囲碁をやめ、プリパラを去ります。そして彼女が生きていくうえで最も重要としていたのは、何があっても進み続けることでした。
一方レオナは、ここからが大人!という明確なターニングポイントがあるのではなく、身体と精神が少しずつ成長していくなかで、どちらか片方でももう片方に追いついていなければそれはまだ大人ではない、という考え方をしています。だからこそ無理に大人になろうとするシオンを見ていられなかったのだと思います。彼が最も大切にしていることは、愛すること、愛されることで、こちらはおまけのコピー本で触れていますが、彼がシオンに無条件に愛を与えたのは かつて姉から貰った愛を同じように誰かに与えてあげたいと思っていたからです(ドロシーはいまいちそれに気付いていなかったので、レオナが他人に与えてばかりいるのだと思っていました)。ドレッシング・循環愛ですね。ちなみに彼がシオンと最後のマイチケを交換したのは、シがそれを処分するとか封印するとかしてプリパラから永遠に断絶されてしまうのを阻止するためでした。帰る場所を用意するためだけに自分がいる、という考え方もまた(『そのために私がいるの』)、ちょっと悲しいものですね
ドロシーについて 話の時間軸をめちゃめちゃにしてしまったので少し触れておきます。ドレシが神アイドルになったのは高校生のときで、これより前にシとレはおつきあいを始めています。だから二人が揃ってプリパラから去ってしまったのがドロシー的には仲間はずれみたいに思えて寂しかったんだと思います。実際は違うんだけど。そして二人が去ったあと、ドロシーは神アイドルとしてひとりでプリパラに残ります。
説明が必要そうなのはドロシーの身長と髪の長さですね。高校生ドレシの身長差は、ふたご・カナディアン遺伝子パワーでレ>ド>シになるわけですが、レオナはプリパラ内では中学生の頃の容姿を保っていたので、パラ内身長差はド>シ>レでした。じゃあ髪は?ドロシーはレオナと何もかもお揃いでなくなってしまうことがきっと怖かろうと思ったので、プリパラ外では長いけど、内ではレオナと同じ長さにしてる、ということにしました。レオナがプリパラからいなくなってしまってからは、もうお揃いとか気にする必要がないので、外のドロシーと同じ長さになってます。
ややこしくしてすみません。
この本ではシオンの母親についてだいぶ好き勝手に描いてしまいましたが、シオンにとっての『ママ』は無条件に自分を愛してくれる人でした。だからこそシオンはレオナにずっとママみを感じていて、レオナに対する『好き』はおそらく恋愛感情ではなかったんだと思います。レオナも実際シオンに対して恋人になってほしいと思っていたわけではなくて、見ていてどうしても危ういので恋人という立場をもって傍にいてあげたいと思っていたというオチです。ただ、シオンの考え方がだいぶ前向きになったので、これからの二人の関係性はまた違ったものになっていくと思います。
余談です。過去と未来のシオンが出会うシーンがありますが、あそこで小シオンが大シオンを母親と間違えたのは、見た目がそこそこ似ていたというのもあり、また、大シオンの中にはレオナから与えられた愛(かつて母親から与えられたのと同じもの)があったから、という小ネタがあります。パパがあれなので、東堂母娘ビジュアルはまあまあ似ているんだと思います。
余談です。今回原稿中によく流していたのがSalyuちゃんの『旅人』という曲なのですが、いい曲だなとじんわりしたので是非きいてみてください。
YouTube公式チャンネルにライブ映像がありました。
Salyu「旅人」
今が好きなあなたと
未来を想うあなた
二つの自分が住んでいても
それはひとつの旅を
続けている旅人で
見果てぬ未来へ 確かに歩いている
新しい地平であなたに出会うために
ここにけっこう引っ張られたところがあります。
タイトル『祈りの日』は作中でシオンがプリパラを去る日だけでなく、彼女がいろんなものに別れを告げてきたすべての日です。彼女の考え方が変わってきたことで、それらが最終的に全て無駄になってしまったかというとそうではなくて、それは誰かと一緒に生きていくとしても絶対に自分の中でだけ抱えていかなくてはならないものとしてこれからも変わらずシオン自身の中にある思い出です。『行く先を照らす灯火』とシオンは言っていたけど、『祈りの日』とはつまり『祈りの灯』ということでもあり…
つくづく思うのは大人になるためにいろんなものを諦めたりなくしたりするのではなくて 大人になるまでの時間はすごく長いから その間ほんまにいろんな事があって だからこそ悲しいこともあった、諦めんといかんこともあった、でもそれと同じだけ嬉しい楽しいこともあったのだろうということです。光のごとく時間が過ぎてきたような気がしても、私たちが子どもだった時間は思っているよりずっとずっと長かったんだということ!失った時間にこそ美しさがあるという考え方をしているわけではないのですが(ゴールズワージー『林檎の樹』をどうぞ)、どんなに歳を重ねようが一生おなじ人間である以上、子どもの頃の自分はいつでもまだ生きているというのがミソでした。きゅうり
こだわりは表紙と裏表紙です。表紙を見てもらったらくるっとひっくり返して裏も見てね
おわり ありがとうございました。
うみ・マドレ犬・くるみパンヌ
自カプ、ねこをひろえ
ボンソワ・アメリケーヌ!
おげんこにしているか?ぼくはお原稿をしているのでもれなく死んでいる。このままだとうっかりあと3日で30ページとかやることになるが、それなりの修羅をけいけんしておかないと立派な大人になれないので、カラオケボックスにフレンドを軟禁して黒髪のベタとかをやってもらっている。大感謝
キモブログの更新にじかんを割くな
ねこ。ご存知だろうか?
あたたか、やわらか、スーパーキュート命………手からぬるぬる逃げていく点ではうなぎによく似ているが、ビジュアルがまるでちがうので良。ねこ、かわいい!以上ここまで、ねこイズ良、というのがおわかりいただけましたでしょうか。秀かな?
そこで自カプにねこをぶつけるのです。自カプイズ最高なので、"""最高"""と"""良"""を正面衝突させるわけですわ。貞子に貞子ぶつけるようなもんですね。
で、自カプがねこを拾うところから見たいんですけど、そういう話を聞きたいんですけど、これは壁ビンタキモブログということになってますので、今夜もひとりでキモを綴らなあかんというわけで…………よろしくおねがいします………………………………
ねこ、拾うのは薫くんのほうな気がする ねこ出会いやすい人っているねんなー。えーそのはなし500回きいたー。しかしまあ、薫くんはなんだかそんなにおいがする………その場の気持ちで速攻だっこしてしまいそうな愚かさというか、そういうのちのち損するタイプの優しさがある………でも、ねこ、よかったね!上着とかでぐるぐる巻きにしたり、腹に入れて連れて帰るけど、なんか颯馬くんには叱られそうだし……と思ってソワソワしてるんだろうな(いずれ見つかる)。案の定見つかってめちゃんこ怒られそう 二人ともお仕事あるし、常々見てられるわけじゃないから里親募集するんだけど、その間自カプの愛の巣でびゅんびゅんしてるねこが見たい ねこが見たいのか?自カプが見たいのか?自カプがねこになればよいのでは?あの、自カプねこ、彼氏のほうはふあふあ長毛イケねこで、彼女のほうはしなやか短毛くつしたねこなのがよくて、自カプのケモ交尾…………(…………………………)(……………………………………………)
彼女、ベストオブちょろアワード2091グランプリ受賞してるから、最初はぷりぷりしてるけど2分くらいでねこにべろべろになる 名前は猫二郎!おぬしかわゆいであるな!にぼし!かつぶし!まぐろ中落ち!それ以上あげるとおデブちゃんだよ……って彼氏に言われてハッとするやつ ねこもきっと彼女の触角のとことかすきなので、彼氏を放っておいて相思相愛になってしまう。つまりやきもちだ!颯馬きゅん♡俺のことも構ってにゃん♡これできゅん崎そうまくんは落ちるのか!?弊社のそうまくんはちょっと不遜なのでスルースキルを身につけてしまったが、彼氏のかわゆさにやられてる神崎颯馬くんをいつでもポストインしてほしい。ありがとう!
そうまくんすき猫、そうまくんすき彼氏、大乱闘スマッシュブラザーズでは決着つかないので、彼女のいないとこで無限揉みVSねこパンチとかしてるんだとおもう """""良"""""じゃん、………………………
ちなみに引き取ってくれる人が見つかったとき一番ぐずるのは彼氏だよ 愛フレンド猫
つまり猫を揉ませてくださいということ なおかつ自カプを吸わせてくださいということ じゃあ、寝ます!ぽすやみデルモンテ♪♪♪
バナナときゅうりは間違えるな、
うみ・真鱈犬・くるみパンヌ
二百十のりんごを抱えよ
おまえはMiss.プリオネアのしもべか?
そうでなければいそいでしもべになったほうがいい。この世には""""最高の女""""がおまえの推しの女の数だけいるわけだが、華園しゅうかはまちがいなくその一人だ。
なにも言わずに聴くがよい。アプル・ミュジクで配信ちゅうなので、250りんごマネーていどなら俺がおまえの懐にしのばせてやる。
よろしくお願いいたします。
で、平均的なりんごの重さを調べるとたいてい300グラムとか出てくるが、ぼくらが知りたい重さはそこではない。知りたいのは羽風薫くんの愛の重さであり、そしてそれがどのくらい神崎颯馬くんにのっかっているかということだ。今夜の記事はそれについてなので、冷凍パイシートなどは冷凍庫にしまい、きたるべきアップル・パイの日を待っているべきだろう。
羽風薫くんはほんとうにメンヘラなのか?
お腐女はメンヘラが大好きなので、攻めや受けを気軽にメンソーレヘソラッパーにしがちである。ぼくにもまあまあ、その気がある。"""最高"""の男や女にはなんとなくそんな特徴があるような気がしているが、それはそれで、こっちの話なので今は置いておいてよい。
羽風薫くんは、以前も言ったように、精神の世界における愛になにかちょっとした固執があるみたいなので、たびたびそういう感じにされているのを見かけるのだが(かわいいね!)、彼は本当にメンヘラなのか?
犬の答えは、ある意味では否である。よくよく考えてみてほしいんだけど、彼、かなりおメンタルは鉄だと思うわよ。おうちのこと、これからのこと、かつて失ってしまったもののこと、彼の境遇を思うと、そもそもメンタルがそうとう鋼でないと、ここまで乗り越えてこられなかったとぼくはおもうわけだよね ガス抜きとしてのパンケーキや女の子はあれど、それだけでにこにこしていられることはない。彼はけなげにがまんをしているのだ。やだ…涙が出る……………こんかいのガチャストでもなんだかそんな匂いがあって、というか彼に感しては匂わせが多すぎて匂いまくってるかんじなのではやく神崎颯馬くんと幸せになってほしいとおもいきや、返礼祭でゴールインしてたから大丈夫だった。ハウマッチご祝儀 だけど、ぼくはつごうのよい腐なので、そんなふうに忍耐づよい薫くんにとってもどうしても我慢できないことがあるような気がしてる それは好きな子のこと それは神崎颯馬くんのことだ!お外でなんでもかんでもがまんしてる薫くんが、颯馬くんのことでだけめちゃめちゃわがままになるのたいそうプリティエではないか………?と…………。他の誰かのそばでフワフワいい匂いさせるのヤダーーーー!!!俺の知らないとこで誰かとおいしいケーキたべてるのヤダーーーーーーーー!!!!!!!俺じゃない人のみかんの白いとこ取ってあげちゃダメーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!など、本当にくだらない些細なことも気になってしまう薫くんはかわいい 好きな子のこと絶対妥協したくないのが本当にかわいいねえと思うわけですの。たべちゃおうね
こういうふうに書いているとまあまあこれも広義のメンヘラなのでは?という問いがこの世の果てからやってくるが、別にそういうことにしてもいい、おまえは何が言いたいぷり?大事なとこをまとめると、世の中のにんげんはたいてい、ギャップ萌えにじんせいや財布を狂わされているということで(ぼくはこういう本とかを死ぬほど読まされたので、これはまず間違いないとおもう)、だから言いたいのは、じっさいもんだい鋼メンタルの薫くんが、颯馬くんの前でだけやわやわメンタルになるのが、ぼくらにとっての魅力なのではないか?ということだ。それが確信犯でも、とってもかわいい!どうすればめいっぱい甘やかしてもらえるかを常々考えては颯馬くんにちょっかい出してる薫くんを世界遺産にしてほしい。きほんてきだいたい薫颯は弟×おにいのカブリンゴであることを忘れてはならない。颯馬くんがママではだめなのだ。ママではなくておにいちゃんなのだ 歳下おにいちゃん 一途に誰かを好きになった薫くんの愛情はきっとすこぶる重いが、それを重いと思わないのが颯馬くんである(これについて、颯馬くんがそういう薫くんのあやうい気持ちに気がついているかという点であるいはぼくたちの解釈は分かれるだろう。ぼくの思う神崎颯馬はわりと強かで賢明だから、それを知ったうえで恋愛してるんだよな)。それはじっさい感情の泥の底みたいなところで恋愛をしているということなので、ちょっぴりおそろしいことだが、本人たちが幸せならそれで構わないだろうというのがぼくの見解である。互いにワガママであるのもよいが、薫くんがマジでくだらないことでふにゃふにゃになっているのがいっぱい吸いたい。まじめな考察とかはまじめな人にまかせたい。颯馬くんのことでなければ我慢できることでも、颯馬くんのことに関しては自分の思い通りにいかないとイヤなところ、これは…………………………。それとも他のいろんなことを我慢しているぶん、いちばん好きな颯馬くんの前では我慢したくないなって思ってるのかな?これも…………………………………………………………。それは恋ね、間違いないわ
しょうじきぼくは羽風薫くんではないので(思い上がるな。ぶっ飛ばすぞ!)彼がほんとうにメンヘラなのかメンヘラではないのかという問題に100てん満点の答えを出すことはできないのだが、ちょっと考えてみる価値はあると思う。で、スキスキセンサーがバリひゃくパーになってる羽風薫くんの薫颯同人をいっぱい吸わせてほしいと思っている。おいしい思いがしたい。そこで前回のキモブログを振り返ってもらうと、understandがディープになるのではないかと思う。それすなわちキモ理解が深まるということなので、お読みの女がぼくと同じところに引きずりおろされることを望むならというわけですけど………
こんかいはこのへんでおしまいだ。
おまえにも、けいさんソフトや労働や、鍋でねかせてるコンフィとむきあう時間がやってくる。
カマボコ・ランドより愛をこめて
うみ・マドレ犬・くるみパンヌ
愛はどこにあるか?
ボンソワ.
えび・いか明太・ホタテゴハンヌです。
自カプの話をしよう。
ぼくはおめざから大爆睡まで、日がないちにち自カプについて考えることで、過剰摂取した糖分を脳で消費している。ついでにジムにも通っている。無限走りや無限泳ぎだけでは筋肉はつかず、やはり筋肉がないと人間は無理、筋肉をつけろ、筋肉は裏切らない、スクワット普通にしてますよね、などの言葉を筋トレ大好きトレーナー女史から賜ったので、その通りにしたら腿が死に、立ったり座ったりができなくなった。
自カプの話をしよう。
ぼくがときどき考えているのは、自カプがどの愛の次元に漂っているのかということだ。正直エッチなことばかり考えていたいが、そういうことをおおっぴらにした時点でぼくはさまざまなにんげんから見放され、インド洋とかに流されるので、しょうがなくそういうことを考えている。エッチなことを考えていないのではない
アストラル・ライトを知っているか?
神智学の扉をじゃっかん開いているにんげんならたぶんわかる(信ずるものにゆらぎのある人間はなるべくこのへんに近づかないこと)。アストラル・ライトは物質の世界に存在するエネルギーよりも高次のエネルギーであり、世界の内側から発している光のようなものであるという。ざっくり説明すると、精神の世界(≒魂)におけるエネルギーということになる。この精神の世界のエネルギーというのはアカシック・レコードと同義なのかもしれないという見解をぼくは持っているが、そこまで詳しくないので(専門がちがーう!)、プロの人には刺されるとおもう。しょうみなはなし、アカシック・レコードは世の中のすべての事象を包括するアマリニモ・チート記憶概念なので、世の中のいろいろ目につくものとか目につかないものは、とりあえずアカシック・レコードに入れておけばオッケーな予感がする。刺される予感も同じくらいする。
で、ぼくはこのあたりの話をいっさい信じていない。
自カプの話をしよう。
自カプの愛のレベルをはかりたいということだけれども(これを最初に書くべきだった)、そのためには自カプがそれぞれどの次元で恋愛をしているのかを考えねばならない。自カプというのはもちろん羽風薫くん×神崎颯馬くんのカポ林檎のことをさす。おいしいね。
ぼくはどちらかといえば羽風薫くんは精神の次元で、神崎颯馬くんは肉体の次元で恋愛をしていると考えている。颯馬くんのほうが説明がかんたんで、きほんてきだいたい彼は『健全な肉体にこそ健全な魂が宿る』という理念を体現したような人間であり、彼自身が思ったとおりの生き方をしている。つまり精神と肉体のあり方に乖離がないのだ。そのあたり、羽風薫くんはだいぶちがう。なんかむずかしい事情のなかで生きてるので、本当に思っていることと行動が食い違ってしまっているのがかわいそうで萌えなのだ。彼は誰にも内緒で、一人きりで自分の精神を慈しんであげているので萌えなのだ。なんか、薫くん絡みのイベストで彼の独白が多すぎて大丈夫なのかなってなるのはそのせいなのだ。わかるのだ。だから自カプの恋愛次元は違っている。それでいて付き合ってるのはあまりにも"""強"""では!?オタクはそういうことしか言えないので"""弱"""なのだが、自カプの愛が烈火の如くであればオールオッケーなので生きていける。燃えろ!!!!!!!!
ひとまずそういうオタクの"感情"は置いておき、恋愛の次元がどこまでも離れている自カプが、なにゆえ自カプたりうるか、そういうことを考えてみたい。
精神の次元で恋愛してる彼氏風薫くんは、目に見えないもの、ふわふわの愛……♡とかほわほわのラブ……♡とか、そういうものに縋って恋をしているのだと思う。先述したアストラル・ライトの世界でも、彼は恋を続けることができるというわけだ。それは生まれ変わってもずっと一緒、君と恋をするために生まれてきた、みたいな乙女的思考に他ならぬ。憧れのスターダム、私たちみんな小さな星、輝くために生まれてきたの 彼が恋する目的が精神の充足であることはこれまでのあ…さ……るス!のおはなしでも語られている。たぶんぼくたちが思っているよりずっと、彼はママみに飢えているというか、よちよちされたい願望がつよいのだ。そこで与えられたのがママみステータスが底辺ぶち破ってる神崎颯馬くんというのが一見つらみであり、実は自カプのミソなのだが、この話はほんの少し後にまわす。
一転、彼女のほうは存外ドライな恋愛をするタイプなんじゃないかなーと思っている。好きにはなるし、誠実ではあるけど、それは今生限り(つまり身体がそこにあるまで)の愛なので、わりとサッパリしている。彼はたぶん魂の世界を信じない。そのぶん愛を燃やすための行為としてのスケベに前向きであるという解釈をしているため、ぼくの思う神崎颯馬くんはけっこうエッチがすきだ まちがいない ただ彼も愛されたがりではあるので、そこが唯一薫くんと噛み合うところなんじゃないかなとぼくは思うのだ。きほんてきいろんなにんげんから愛されて生きてきた彼は、自分が愛されることがすっかり当たり前で、それが『普通』になってしまった。まあ神崎家のくわしいはなしが明らかになってないので、このあたりは今後のストーリーで変わってくるかもしれないが(母上と離れ離れで寂しかった発言・喧嘩祭)…………
つまり自カプは、そこに至る道筋が違えど求めるものが同じであるため恋愛ができるのだ。愛され足りていないから愛されたい、愛されることに慣れきってしまっているから愛されていたい、という違いだ。異なる始まりや里程標を辿り、しかしおなじ望みに辿り着くのが彼らだったということだ。それは、さだめ………勘のよい女はうすうす気づいているかもしれないが、この理論でいくと自カプは凸と凸または凹と凹なので、じょうずにフィットしないのではないかと心配になる。そこは大丈夫なのだ。エッチの時はちゃんと役割があるから……………(……………)……………………自カプのエッチなコンテンツをください
ここまで書いて勝手に気持ちよくなってしまったが、もちろん自カプの解釈は人それぞれでよい。というか、そうでなければ俺は死ぬ。自由にしていいってのはムチャクチャするんじゃなくて 譲れないことガチでしろってことだって森園わかなちゃんも言ってる。お前の解釈や、お前の同人でいつでも殴り倒してくれてかまわない。ぼくは金庫をブレイクしてウスイブックを購入するだろう。そしてこのアーティクルは3日後には忘れ去られているので、ぼくの解釈が後日ブレ・ブレになっていても黙ってサルティン・ボッカなどを召し上がっていてほしい。クリスマスにおすすめだ。
こんかいはこのへんでおしまいだ。
次回があるかはわからんが、書きとちゅうの記事があることだけは、お伝えしておく。
では、よいクリスマスをどうぞ。
うみ・マドレ犬・くるみパンヌ